松浦珈琲 matsuura coffee 辺境の自家焙煎珈琲豆販売店

松浦珈琲の歴史

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1993年
 松江市裁判所前に「松浦珈琲店」開店。

2000年 珈琲豆販売に特化するため「松浦珈琲店」を閉店し、松江市東出雲町の自宅にて珈琲豆販売を始める。

2004年 自宅横に「松浦珈琲」店舗(焙煎室併設)を建て、試飲室(喫茶)も始める。




以下は地方紙で紹介いただいた際の記事です。
松浦珈琲の歩みをまとめてくださっています。


人は喫茶店に何を求めるか。息抜き、語らいの場というのが多いだろう。島根県東出雲町揖屋の松浦珈琲店は違う。経営者の松浦哲也さんが描いたのは「ファッションを排除し、液体だけ飲む店」。あえて「液体」と言い表すところに思い入れがある。
現在は自家焙煎した豆の販売が主体で、喫茶の開業は土曜日午後に限定しているものの「分かってくれる人に向けて丁寧な仕事を続けたい」と自負は揺るぎない。
メニューは各種コーヒーのみ。ケーキもトーストも、ない。「ほかのものを食べたらコーヒーの味が分からなくなる」。ケーキと一緒に楽しむのを否定はしないが「うちの仕事ではない」ときっぱり。ただ、うまいコーヒーを飲む店なのだ。
イチ押しのデミタスは小ぶりなショットグラスで提供。琥珀(こはく)色のエキスに濃縮された味と香りが、口の中で徐々に変わる。ちびちびと飲んで余韻を楽しむのだ、と解説が入る。
コーヒーのことを語りだすと止まらない。「グラスの縁の薄さが」「豆の断面が」と緻密な計算がぽんぽん飛び出す。まるで茶道ならぬコーヒー道。
生来の嗅覚、味覚の鋭さを生かせないか。自分の特技に合う仕事はないかと問い続け、「マニアックな仕事」に可能性を見いだし、行き着いた先がもともと好きなコーヒーだった。
人に合わせるのが好きでなく、勤め人になる気はなかった。高校卒業後、大阪や松江の飲食店でアルバイトしつつ、進路を思案。料理人は徒弟制度が肌に合わずパスし、「今で言うニートみたいなもの」だった。
コーヒーに照準を定めて東京や大阪の喫茶店を飲み歩き、広島市のある店にたどり着いたのが1986年ごろ。一見、平凡な店だが、味は違った。「こんなのが世の中にあったかと感動した。それで、自分でもできないかと」。燃えた。
ポイントは焙煎。手掛けた豆を携え、毎週通った。見ただけで突き返され、試行錯誤する日が三年は続いた。バイト代を機材、豆購入など研究費につぎ込み、独自の味を確立。松江市街に店を構えたのは93年だった。
コーヒーだけの喫茶店が成り立つには商圏が小さ過ぎたのか喫茶目当ての客は少なく、2000年から自宅を拠点に好調だった豆の販売に特化。04年春、店舗を建て限定で喫茶も再開した。
手製の看板を道端に立てたのは半年前と宣伝に無頓着だが、県外にもファンを抱える名店、こだわりを職に昇華できた人生に満足だ。求道者らしく飾りのない言葉で表す。「喜んでもらい、お金ももらえて幸せ」と。
(山陰中央新報2006年11月27日「自分流 山陰の夢追い人~至高の一杯追い求めて~」桝井映志記者)
by matsuura_coffee | 2015-07-25 16:25 | 松浦珈琲の歴史